2012年05月23日

情報:世武裕子さん。タテタカコさん。

雨に閉ざされて、今日はふらふらっと、マイミクさんのつぶやきから。

えー、この人とつながってたんだー!
なんて発見もあったりして。


   ***


マイミクの、麻生 潤さん。
http://www.facebook.com/asojun

…この、写真の笑顔が…いいでしょーーー☆


で、その、つぶやき。
https://twitter.com/#!/junaso/status/204597306459295744

>世武裕子のツアータイトル決定!ライブ続々決定中ですが、まだまだ色んなところでやりたいと思ってます。「世武裕子」を呼びたい!って方がいたら気軽にリプライ下さい〜!!


世武裕子さん、って…調べてみたら…
http://sebuhiroko.com/
旧↓
http://www.myspace.com/hirokosebu

…GoogleクロームのCMで、鍵盤弾きまくってた人だった…!!!
びっくり!!!

http://www.myspace.com/video/vid/107175779


うわーうわーうわー…


映画とか、CMとか、いろんなところでご活躍なんですね。
世武裕子さんをお呼びしたい方は、ぜひ、麻生さんへリプライを。
https://twitter.com/#!/junaso


オフィシャルがアップしてる動画、貼っときます♪




   ***


…で、世武さんの音源を聴こうと思って開いた別ウィンドウで、
続けて、なぜか別のアーティストさんの曲が流れて…。

でもなんか耳に残ったので、これも御縁だと思って調べてみました。

タテタカコさん。
http://www.tatetakako.net/


…そしたら、こちらもまた…!


気になりながらも見てなかった映画、
『誰も知らない Nobody Knows』の、挿入歌の人だって…!

びっくり…!


それも、監督たっての希望で、挿入歌になった、っていうのが、
…いいなぁ。うらやましいなぁ。


コンビニの店員として出演もしてらっしゃるそうです。


そして、タテタカコさんが、谷山浩子さんの「恋するニワトリ」を歌っててびっくりした(笑)



色々びっくりした、雨の日でした。

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2012年05月22日

雑記:牧師さんの話から思い出した作品

なんだか、間があいてしまったので、
どのへんから続きを書いたらいいのかなぁ、と思いつつ。
やっぱり、このあたりからかな…。


海坂さんのブログ。
NHKの番組「プロフェッショナル」に出演していた牧師さんの話に関連して。
http://blog.goo.ne.jp/t-unasaka/e/7ae02b60a2b3ee11da64462e6cd4aa37


「身投げ救助業」菊池寛、こちら。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/489_19849.html


まずは菊池寛については、すでにこういう作品があるのだから、
こうではない未来をどうやって描くか、を私はすぐ考えてしまう。

これは奇妙な、癖みたいなもので、
別の選択肢を探してしまうというか。
おかげで自分が書いた文章でさえ、書いたそばから否定する。

だからあんまり明るいこと書くとそれ否定しちゃうから書かない方がいいのかもしれない。(笑)
…いや、笑いごとじゃなくて。ホントに。

なんていうか…表面的に、
「こんな楽しいことあったんだよ〜」って書き方なら自分から抜けて行かないんですが、
分析して書き出してしまうと、自分から抜けてしまう。
そんなわけで、
楽しかったこと、嬉しかったことは、分析しないに限る、というのが数年前からの結論。


逆に、打開したいことは徹底的に分析するわけだ。


でも自殺を止めることについて、これまでに分析しきれずにきてるのは、
そこに少なからず私が引きずり込まれていたからだ、とも言える。
徹底的に分析しつつ、生きる方向へ舵を切って結論を出すことができなかった。
今、こうして真正面から書いていられるのは、そこから自分が脱した証拠でもある。

だからって、これを他者に押し付ける気もない。
以前の方が押し付けてただろうなぁと思う。



海坂さんのブログを拝読して、自分に欠けている視点に気付かされた。

死にたくなる理由を個人の問題としてとらえるのではなく、
社会にその原因を求める道はないのか、ということ。

…私が社会を意識して生きてないので、こういう視点が欠けます…。

でも、
人助けの裏に管理と支配が伴ってしまう、なんてのは、
それこそ、社会のように思ってしまう。
教育なんてのも、社会に有用な人材を育成する、ってことなんだろうから。
「役に立つ人間になんかなりたくないね」、と思う個人が増えれば、
教育なんて成立しない。
私の周りには学校嫌い、先生嫌いが多いんですが、
このあたりでひっかかってる人が多い気がする。

そして先日見た、おじゃきくん(尾崎豊)の「卒業」の話もつながりそう。
これねえ、若者の歌じゃないんだ、って、つい数年前に気付いたんだよ。
これについては稿を改めます。


   ***


私が思い出したのは、ゆんさん(高河ゆん)の『ASIA』です。
…同人誌だ。やおいだ。C翼だ。例に漏れず健×小次(郎)だ。

お好きじゃない方も、無難な話だけで終わりますから、ついてきてください。
(↑普通ここは「回れ右」って書くところですが)

これから読む方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないから、
登場人物とかあらすじとかは、書きません。

言葉だけ拾います。(記憶で書くので間違いはお許しを)



<差しのべた手を拒絶されるこの孤独>


…これはセリフじゃなくてコマに書かれたフレーズだったんですが、
もうねえ…抉(えぐ)られましたよ。ええ。はい。ゆんさんはすさまじい。


「お前は、自分が誰かを救えるなどと思ってるのか」


先のフレーズを受けて、ある登場人物(パロディオリジナルキャラ)のセリフ。
…この言葉も、もう、とにかく、…突き付けられた。



たぶん私が『ASIA』と出会ったのは、12歳かそこらのときです。
小6か、中1くらい。
人間関係のすったもんだを経験するよりも先に、突き付けられた。

でも私はこのときすでに、救いたい人がいたから、
そして自分には到底救えないというのも痛感していたから、
ゆんさんの言葉は本当に抉られる思いだった。

無力な私に救えるはずがない。

救えるなどというのは思いあがりだ。


   ***


そう打ちひしがれる私に、
ゆんさんの描く小次郎が能天気なほどの笑顔で言う。

「あきらめなきゃいいだけじゃねーか」

それを受けて隣に並んだ健ちゃんが、小次郎を見て微笑みながら言う。

「あんた、あきらめの悪さ、天下一品ですからね」



…うわああああああああああああああああああああああ。



泣くって。



なにこの自信。



なにこの信頼関係。



ゆんさんの描く二人の表情がまた、本当に力強い笑顔で。
ああ、信じていいんだな、と思わせてくれた。


思うに、私の中で友情と恋愛の区別があやふやなのは、
このあたりの影響なのかもしれんなー…
まあ…基本、「ときめく」ってことがないんだよな。
人間的に惚れることは多いんですが。
ドキドキする、ってのは、ほとんどない。
ときめきより信頼のほうが上位。
…でも信頼勝ち取るよりも、負担にならないように身を引くほうが上位かもしれん。
その反動で、相手のためだと思うと引くことを知らない、っていう状態だったのかも。
だいぶ無意味な遠慮をしないように治ってきた気はするけれど。
だいぶバランス良くなってきた気はするけれど。
このあたりの分析はまた別の機会に。


細かいこと言うと、健ちゃんの「あんた」っていうぞんざいな二人称と、
「〜ですからね」っていう丁寧語の混ざった感じが、
微妙な距離感というか性格というかいろんなものを物語っててホントすごい。
(とか言って原文見たら記憶違いだったりして。そんときはゴメン)
ていうかむしろ小次郎のセリフがあやふや。


   ***


そして、「あきらめなきゃいいんだな」と私が思ったのは、言うまでもありません。

でも、先に突き付けられてるんだ。
お前なんぞに救えるものか、って。
それ越えて、なお、あきらめないよ、っていうスタンス。

そうやって、幾人かと出会いながら、生きて来ました。



でももう数年前から、あきらめるようにしました。

私がもたなくて遠ざかった縁もある。
私だと悪影響を与えるだけだと判断して遠ざかった縁もある。

今もなお、
どうしてるだろうか、幸せになっただろうかと、常に思う。
思いながらも、もう何もしないほうがいいんだろうなぁと思う。
何もできないんだろうなぁと思う。
相手が変われば関係性も変わるのかもしれないが。
たぶんそのときには、私の必要性もなくなってるだろう。
でも、必要性がないからこそ、適度な距離感で話せるようになってるだろうと思う。
…幸せなんて、わからないけれど。
とにかく、その人が心地良いこと、そして周りをも心地良くする状態であること。
周りを心地良くする、って言っても、大それたことじゃなくて、
見ているだけで心地良くなるような、そういう状態。


詫びなければならない人たちもいる。
…元気なんだろうか。
きっと一生、許してはもらえまい。
許しを請い願う機会さえ、きっとないまま、人生は終わる。

でも以前なら、もし詫びる機会を得て、
それでもなお、相手に死んで詫びろと言われたら、
私は死ななければならないんだろうと思っていた。

…今は、どうにか許してもらって、生きたいと思う。


死ねと言われたら死ぬのに、なんてのは、
ただ単に自分が死にたいのを相手に背負わせてるだけなんだとつくづく思う。
だから構ってくれる人間に対してワガママを言い続けて、
見捨てられたら「ほらやっぱりみんな見捨てるんだ死んだ方がいいんだ」と死のうとする。

そういう論理だろう。


別にそれが間違いだと言うつもりはない。
その人の中では、それが正しい論理なんだ。
親切にしてくれる人に、ありがたい申し訳ないと思いつつも、
やむにやまれず迷惑なことばかり言って自己嫌悪に陥りながらもどうにかしたいと思い、
それでもなお、自分の中に強固に巣食っている結論を回避できない。
牧師さんの元から離れる人は、きっとそういう思いだろう。
それを否定するつもりは、まったくない。

ただ、別の論理もある、というだけのこと。

それも、無理に押し付ける気はないけれど、
それをどうしたら得られるのかが見えたら、きっと世界は変わる気がするから。



今、私が、
死んで詫びなければならないほどの過去さえ、
許しを請い願って、生きたいと望む、この論理は何か。

今この、自分の掌に、
確かに血が通っているのをしっとりと実感する、この感覚は何か。


呪縛とは何か。
その砕き方はいかに。
希望とは何か。
笑顔とは何か。
信頼とは何か。
許しとは何か。

未来が当然に今日の続きの明日だというこの奇跡。


…まだ、言葉には、なりません。
ほら、嬉しいことは、分析できないもんで。
もったいぶるわけじゃないけれど。
これって、実感してる人には、たぶん当然なんだろうと思う。


とりあえず、
もし私がとても心地良い状態で、
見てる方も心地良いと思ってくださるのなら、
一緒に遊ぼうよ、っていうことです。

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歌:The Rose - Bette Midler

最近耳にした歌の紹介。
なんかで見て。テレビかなぁ。

「The Rose」
作詞作曲:Amanda McBroom(アマンダ・ マクブルーム)
歌:Bette Midler(ベット・ミドラー)

アメリカ映画「ローズ」(1979年11月公開)の主題歌だそうです。
ベット・ミドラーは主演も。


アニメ映画『おもひでぽろぽろ』(1991年7月公開)の主題歌として、
監督・高畑勲さんが訳詞した日本語のカヴァー曲、
「愛は花、君はその種子」を、都はるみさんが歌ってるそうです。


原曲の歌詞、

It's the dream afraid of waking
That never takes the chance

っていうのが…常に、あぁ、と思いますね…。
「夢が覚めることを恐れていては、チャンスさえも掴めない」、とな。
…うおう…orz

やわらかい旋律の美しい曲です。
英語の歌って、雰囲気で聞いてると歌詞がイメージとぜんぜん違うことが多い…。
この歌も、歌詞はけっこう手厳しい部分も多い気がします。
「夢が…」の部分とか。
最終的には優しいけれども。

そういう発見がまた、楽しみでもあったりします。
歌詞の意味を知って、更に好きになったり。

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2012年05月19日

雑記「危機感の違い」のコメレス

コメントいただいて、そのお返事。転載。


(まずは自分の安全を確保してください、とおっしゃってくださった)
〜〜さん、〜〜さん、
温かいお言葉、本当にありがとうございます。

私はドアあけて、そのまま逃げそうでした。
自分の安全確保を今までよりもずっと第一に考えてたと思います。
ドアをあけて、その場に立ち尽くして、
室内にそのまま居たほうが安全か、外に出たほうが安全かを考えてましたから。

そしてあの場の人間を見捨てて自分だけ生き残ったら、
見捨てたことをずっと責め続けて非常に自分が辛くなるから、
全員助けようと思うんだと思います。
結局は常に私は自分のために動いてます。
ナルシストですからねw

本文と関係ありませんが、ずっと、みゆきさんの「with」が頭の中をぐるぐるしてます。
…出逢ってくれて、笑顔をくれた人は、みんな、大事な人です。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND5895/index.html


とりあえず、仕事行ってきます。
てんでんこ、をうまく伝えられる方法を、月末くらいまでに考えよう。うん。



(みんなまた危機感薄れてますね、平和ボケが板についてて…という)
〜〜さん、ホントそうですね…。
震災前からドアはすぐあけてたので、みんながヘラヘラしてるのがホントわからないです。



ほんとに、みなさん、ありがとう。

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posted by なべ at 06:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雑記:危機感の違い

今日、地震があったとき、仕事中でした。


少し揺れた時点で、「地震…?」って、気がついて。
すぐに出入り口のドアをあけた。

そのあと、けっこう揺れて。
3階だったし。
作りつけの棚のドアが、ガタガタガタガタ言ってた。


もし建物が倒壊するような大きな地震が来たら、
避難誘導、私がするのか…と思った瞬間、
声を発してました。

「もし危険だと思ったら、自分の判断で逃げてくださいね」

なぜか後輩たちは…笑うんだ。
苦笑いというか、失笑というか。

どうして笑うのか…わからない。

私は硬い声のまま、続ける。

「何十人もいて、誰も動かないと、安全だと思い込んで全員潰される、
 っていうことが起きてますから。
 そういう心理状態になることが、ままあるから」

てんでんこ、だ。


しばらくして揺れは治まったけれど、
怖いからドアあけておきます、と言って、仕事に戻った。


   ***


仕事が終わって、最後まで残ってた女の子に、
気をつけて帰ってね、いや、気をつけようがないか、などと言って。
「無事また会えるよう。無事にまた会いましょう」
そんなことを言って。

もう一度会える、ということが、どれだけ奇跡か。

いつも、それを思う。
それを口にしても多少は笑われないようになった気もするけれど、
やはり相変わらずこの国の人たちの大半は平和ボケだ。


一人になってから、ふと、
以前なら、
ドアの近くの後輩がドアをあけなかったことを叱り飛ばしたな、と思った。
お前ら、自分が責任者の場面で、そんなことでとっさに動けるのか? と。

自分の判断で逃げろ、と言ったときに笑われようものなら、
…以前なら、キレてた。
そうして、一人になったときに、伝わらない悔しさに泣いていた。

今日、どうして、怒鳴りもしなかったのか。


…あきらめたんだな。


私の判断基準では、
地震があったらあの場に居る全員がドアを開けに走るくらいでないといけないと思ってる。
「あー地震だ」なんて顔しやがって、と以前ならキレてたはずだ。

でも、もう、
そういう私を過剰だと思われて、失笑されることがわかってきたから。

…だいたい、
自分の判断で逃げろ、なんて。
私は、あの場の全員を守る責任を、一人ひとりに返したんだ。
責任放棄をしたんだ。
…無責任な。
…そう、あなたがたがを、私は…見捨てたんだよ?
どうして、笑ってられるんだ?

…まあ、ガキじゃあるまいし、
はなから私なんぞに守られようなんて思ってないのかもしれんが。

それ以上に。
私は…伝えることを、放棄した。
手厳しさから手を引いた。
伝わらない苦痛から…逃げた。


…いいのか、私?
それによって彼らに附随する数十、数百、数千の命が、危険にさらされても?

…わからない。


…でも。
私がすぐに駆け寄ってドアを開けたのを見て、
そうするべきだ、と思ってくれた人だけでも、真似てくれたら、
それでいいのかもしれない。



とりあえず、来週にでも、「てんでんこ」のビデオを見せよう。



「てんでんこ ‐津波を生き延びる知恵‐」片田敏孝教授インタビュー





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2012年05月17日

雑記:牧師さんのこと続き&フロムを読んでます。

さて。

前記事こちら↓
http://moe1000.seesaa.net/article/269515156.html

あっけらかんに戻る前に、書きなぐってしまった雑記の補足を書こうと思ったけれど、
書けば書くほど余計なことばかり出てきて面倒なので、却下。


でもとりあえず、
私が牧師さんと同じ側で、他人を救っていい気になってる、と思われてるわけではない、
というのは、ご本人からコメントいただいてはっきりしたので、良かった。

そして返す言葉で私が書いたコメントの転載。

>あんなふうに管理されるくらいなら酒でも薬でも溺れて思うままに潰れてしまったほうが自尊心は守られる、という発想も、私の中にあります。


そうなんだ。
むしろ私はそちら側だ。

でもどうあっても死ぬわけにはいかなかった。
そういう意味では、私自身が管理によって生きながらえた、と言える。

生きづらさを解決する術などまったく与えてもらえないまま、
ただとにかく死ぬことだけはまかりならん、と言われ続けて生き続けるというのは、
そうとうに過酷で、本当にもう、死にながら生きてた。


今は生きたくて生きてます。
でも…なんも変わらんように見えるんだろうなあ。(笑)
いかにも死にたいです、なんて顔せずに生きてたからなあ。
ていうか死にたいって人間に「生きろ」って言って生きてきてたからなあ。

…うん。だから、あの牧師さんは、
あの牧師さん自身が本当は死にたいんじゃないか、って顔に見えるんだ。私には。
だから自殺禁止の教義に自分を従わせてるんじゃないか?

…なんて言ったら牧師さんが死んでしまうわ。
生きてください。


   ***


この数日間に嬉しいことやら悲しいことやら色々あって、
どういう順序で書いたらわかりいいんだろうかと思ったけど、
とにかくやっぱり本の話をまず書かないことには始まらないようなので書きます。


エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という本を読んでます。
5人くらいで。
難解な本をみんなで、ここはこういうことなんじゃないか、って話しながら読む会してるの。

本(立ち読みあり)↓



…これが…むちゃむちゃ楽しいvvv
この会自体が。
3時間があっという間なんて、某所以外でそうそう味わえないよ…♪
いやもうとにかく、プロジェクトの打ち合わせはサボっても、この会はサボらんwww


本自体も、大変興味深いのです。
この本は、別の人が提案してくれて読み始めたんですが、
いやーーー…「そうかあ」、ってのがいっぱいあります。


とりあえず、まずひとつ。

「〜〜からの自由」、自分を縛っている何か”から”自由になる、
というのは、想像しやすいと思うんですが、
フロムは、更にその先の、
「〜〜への自由」というのを提唱してるわけです。

根底にあるのは、
せっかく市民革命で自由を勝ち得たにもかかわらず、
ファシズムを支持してしまった人たちがたくさんいたことに対する批判。


ヒトラーは合法的に政権を取ったんですよ。
これ知ったときはびっくりした。
普通に選挙で選ばれて、普通に支持されて、それであんなひどいことになった。

どうしてせっかく自由になったにもかかわらず、
人々が自ら望んで権力に従うのか、ということを、フロムたちはひたすら語ってる。
そして、そうならないためには、どうしたらいいか、を。


要約すると…

周囲の自然や人間と一体であった不自由な状態から、自由になったときに、
孤独感や無力感を味わうから、
そこから逃れるために、権力に従ってしまう。
そうではなく、
「愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれる」(p.29)ことを目指せ、と。

>個別化した人間を世界に結びつけるのに、ただ一つ有効な解決方法がある。すなわちすべての人間との積極的な連帯と、愛情や仕事という自発的な行為である。それらは第一次的絆とはちがって、人間を自由な独立した個人として、再び世界に結びつける。(p.45)


第一次的絆、っていうのは…ああもうええと、本読んで(笑)
個人的には、これよりも『反抗と自由』のほうがわかりやすくて読み進めてます。




   ***


この本を読む中で色々、自己分析がまた進んだことは、さておき、

自殺したい人を助ける、っていうのがまさに、この、
「自由」って何か、っていうところとつながるなぁ、と思うわけです。


第一次的絆、ってのはだいたい、こういうことです。

>人間の社会史は、自然と一つに融合していた状態からぬけだし、周囲の自然や人間たちから分離した存在として自己を自覚するときにはじまる。しかしこの自覚は長いあいだ非常にぼんやりとしていた。個人は依然として、自分がぬけでてきた自然的社会的世界と密接に結ばれていた。(中略)個人がその原始的な絆から次第に脱出していく過程…(後略)(『自由からの逃走』p.34)

> 個人の生涯にも、これと同じような過程がみられる。子どもは生まれると、もはや母親とは一体ではなくなり、母親から離れた一個の生物学的存在となる。しかしこの生物学的分離は、個人的な人間存在のはじまりではあるが、子どもはなおかなり長いあいだ機能的には母親と一体になっている。
> 比喩的にいえば、個人が外界に結びつけられている臍の緒を、完全にたちきっていない程度に応じて、かれには自由はないのである。しかしこれらの絆は、かれに安定感や帰属感や、またどこかに足をつけているという感じをあたえる。私は(中略)個人が完全に解放される以前に存在するこれらの絆を「第一次的絆」と呼ぼう。(同 pp.34-35)


母親に何もかも世話をしてもらわないと生存できない状態は、
不自由だけれど安心がある、という状態で、
社会的には、たとえば仕事は保証されてるけれど仕事を選ぶ自由はない、みたいな、
ちょっと前までの日本だと、終身雇用なんてのはこれだったと思うわけです。

終身雇用に縛られなくなった今、自由になったわけだけど、
そのせいで、生きる糧を得る方法を見失って自殺する人も出てきたりしてる。

大家族で生きてた頃に比べたら、一人暮らしの人も増えた。
コンビニだとか、フリーターなんていう生き方だとか、
大家族に縛られずに生きられる社会的状況もたくさんある。
そういう意味では自由になったはずなのに、やっぱりこれもまた孤独死なんてのが出てきてる。


ここで右往左往してしまって自殺を選ぶ、というのは、
「ファシズムを選ぶ自由」というのと似てる気がするわけです。

そりゃあ死ぬのは自由だけど。

そりゃあファシズム選ぶのも自由だけど、あれ選んで良かったの?
ってのと同じじゃない? と、私は思うわけです。


   ***


…じゃあその、「愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれる」ってのは、
具体的にどうすりゃいいの、フロムさん?
っていうのが、本読んでてもなかなか出てこないのが困ったところ。(笑)

でもなんとなく個人的には、今、すごくその「自発性」の意味が実感できてて、
それについても書きたいし、そうするとホントすっきりするんだけど、
またそのうち書きます。

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2012年05月11日

写真:おねえさんの背中♪

なんか長ったらしい文章書いちゃったので、
お口直しにお姉さんの背中貼っときますwww

120505_1516~02k.jpg

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雑記:死にたい人はとにかく死にたいんだ。

9:33 2012/05/11

朝の仕事終わり。
昼からの仕事の準備をしなければならないのだけれど、
書いて吐き出さないことにはどうにも動けそうにないので書く。


   ***


昨夜再放映されたNHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀」、
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0507/index.html
藤藪庸一さんの回について宣伝したら、
お二人からコメントをもらった。


お一人は本放送を見て、やるせなかった、ということだった。
やるせない、の理由は、短いコメントからは読み取りきれない。
機会があったら訊いてみたいと思う。

番組は、藤藪さんが社会復帰を願って共同生活をしている何人かの中から、
一人が急に出て行ってしまって行方がわからない、という展開だったから、
救おうとしても救いきれないことにやるせなさを感じたのか、
それとも逆だろうか。


もうお一人、憧れの方から思いがけずコメントをいただいた。
それも、番組を見て「かなり凹んだ」、というコメントだった。
視聴後のブログ記事へのリンクをいただいた。
http://blog.goo.ne.jp/t-unasaka/e/3be4175d53f8b5fcd7edda88c44fdf68

>この牧師さんは私の一歳上らしいが、人を救うという自分の生き方に何ら疑いを持たず、自信たっぷりに生きている。


…ああ。
きっと私も、牧師さんと”同じ側”だと思われてるのだろうと思うと、それこそ凹んだ。

この方は私にとっては文学青年で(こういうとき年齢は関係ない)、
彼から紡ぎ出される言葉は私の語彙群と重ならない部分が多く、
もうなんだか畏れ多くて、コメントなどいただいた日には浮かれてしまって、
それこそ私のつたない作品にお褒めの言葉をいただいたのは一生の宝もので、

でもきっと、この牧師さんがこういうふうに見えたということは、
私のことも、浮かれて自信たっぷりであっけらかんと生きてると思われてるんだろうと思うと、
どうにも、それこそやるせない。
きっとだから相手は、私に会う気になどならないと思ってらっしゃるのかもしれない。
いつかお会いしたいです、関東にいらっしゃるときはご連絡くださいね、などと、
♪だの☆だのを撒き散らしてキャーキャー書いたりするから、仕方ないのだろうけれど。

憧れの人に、ぐじゃぐじゃの自分なんか見せたくないじゃないか。


   ***


藤藪さんの写真を公式サイトで見たときに、ちょっと違和感があった。
番組を見て、一瞬は、気のせいだったと思おうとしたけれど、
やっぱり気のせいではない、と思った。

藤藪さんの目には、光がない。


彼が牧師を志した頃の写真が、番組内で一瞬だけ映った。
それはそれは未来の希望を信じてやまない笑顔だった。

もし彼が今もそんな表情をしていたなら、
人を救うことに生きがいを持って自信たっぷりな(いけすかない)人、と思っただろう。


花屋が一番、花を捨てる。
花が好きだというだけで花屋になれば、毎日泣かずにはいられまい。

医者が一番、人の逝くのを見る。
医療の限界を肌身で感じる日々だろう。


13年間で500人以上を社会復帰に導いた、というのは、
少なからず社会復帰に導けなかった人たちとも関わってきた、ということだろう。
半数か。同数か。それとも倍以上か。
それを13年も続けてきた、というのが、すさまじいと思う。


本当にまったくの想像だけれども、
そもそも、藤藪さんの目に光がない、というのが、私の印象でしかないけれども、

たぶんこの人は、何か大きく喪失している。
牧師になったあとで。
目の奥に、その空虚が映ってる。


番組は、「訪ね人」の広告だと思った。
撮影を開始したときには、こんな展開になるとは予想していなかったとは思うが、
あるいは長年の経験からその可能性も感じていたのかもしれない。

俺はここで待ってる。

そのメッセージだと、私には思えた。


けれどそれは、たぶん、とても悲しいメッセージだ。
きっと、届かない。
それすらわかったうえで、0.0001%の可能性でもいいから、
彼は賭けたのではないだろうか。

そんな気がした。


   ***


私にも、毎日毎日死にたかった時期がある、
などという話は不毛だから嫌なんだ。

だから別のことでも書こうか。


あの頃、唯一最愛だった人が、もし死にたいと思うのなら、
そうして自死を選ぶのなら、
私は黙って見送るしかないと思っていた。

あなたがそれを望むのなら。
私はそれを受け入れるしかない。


あなたがこの世を去ったら、身を切られるほどつらい、
私もまた生きていられないほどつらい、
何も望まない、私のそばにいてくれることさえ望まない、
ただあなたが生きてこの世に在り続けて、
笑顔でいてくれたならそれだけでいい、
そのために私の何を犠牲にしてもかまわない、
そう思うほど大切に想う相手でありながらも、

あなたの決断なら、私はそれを受け入れる。


そう、思っていた。



…こういうのを妄信と言うのだ。


私は二度と誰のことも信じはしない。
自分がどうしても嫌なことであれば相手が誰であれ口を閉ざしはしない。



死にたい人間というのは、
何を言われようが、何をされようが、死にたいのだ。
私はあの頃、死にたかった。
だから、この世で最も大切な、守るべき唯一の人が死んで、
この世に未練がなくなることを思っていた。
後を追って三途の川の手前で愛を告白することだけを思っていた。

実際、私たちは誰もがあの頃、本当に息苦しかった。

あなたが死にきれないのなら私が息の根を止める。
そう思ってさえいた。


死にたい人間というのは、とにかく死にたいのだ。
助けると言い寄ってくる人間がいれば、
ちょっと離れた隙に死のうとするし、
離れまいとしても、お前なんぞに救えるものか、と死のうとするし、
じゃあ勝手にしろと言われれば死のうとする。

とにかく死にたいのだから、結論は他にない。


…よくわかる。


覚えてる。


…よくわかる、と言ったところで何にもならないから、
私はへらへらとして、自信たっぷりなような顔をして、
こんな話は全部封じてしまいたいんだ。

死にたい人間に「私だって死にたかった」と言ったって、
「お前の死にたいと自分の死にたいは関係ない」と言うだけだから。
死にたい人間はとにかく独りになって自分だけの死の中に閉ざされたいのだ。

…ああ、そうだ。
死にたい人間はとにかく独りになって自分だけの死の中に閉ざされたいのだ。

…もしかしたら年間3万人もが自殺するのは、このあたりが理由なのかもしれない。
自分の心の平穏を持っていないんじゃないだろうか。
外界の何もかもが自分を乱すとしたら、生きづらくても当然だ。


というか、日本人は死にたがりの民族なんじゃないかと最近思う。
戦国時代は兵士の数が多いほうが勝ったというじゃないか。
死にに行く戦い方しか知らないから生きて勝てないんじゃないだろうか。

キリスト教は自殺は禁じているし、
1匹のヒツジが逃げたら99匹を置いてでも助けに行けと言うし、
そういう発想は本当に日本人と相容れないと思う。
芥川も太宰も嫌いではないけれど。
でもなんだか、散る美学というのも、そろそろ卒業できないもんだろうか。


死んだってかまわないさ。
でも、どうせそのうち死んじまうんだから、もうちょっと遊ぼうじゃないか。

ただそれだけの戯言。



…そうやって嘯き続けて、ここまで生きて。
私はようやく、今、本当に嬉しい。

唯一最愛だった人に、
今ならあなたが死にたいと言っても引き止める、と告げた。
あの頃は見送るしかないと思っていた、というのも。

あの人は言った。
あの頃の想いにも、今の想いにも、ありがとう、と。


私は幸せだ。
今本当に幸せだ。
ここまでの幸せを知らないまま、死ぬ手はない。
…ここまで越えるまでが、更に地獄だったのも、もう遠い記憶だ。


…うん。
ここまでの幸せを知らないまま、死ぬ手はないよ。


   ***


朝の仕事に行ったら、
新しく入った人が余計なことばかりして困る、という話で持ちきりだった。

こんな困ったことをした、あんなどうしょもないことをした、
と憤って話しているその人の苦労はもちろんわかるが、
私はもう身の縮む思いで仕事の効率も落ちるほどだった。


「なんであんなことをするんだろう」と言う割には、
その「なんで」を本人に訊くことなどしない。
「なんでだろうね」「まったくわからないね」と同調する人間にだけ愚痴をこぼす。

私はその人と話がしてみたいと思う。
その人の心象風景はどんなだろうと思う。
きっとあらゆる人が物が空気さえもが自分を責めてるように感じているのではないだろうか。

誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。
どんなに「迷惑かけたってかまわないと思ってる人間もいる」と言われようとも、
私は繰り返す。
誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。
誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。


「よりによって11月まで契約を切らないって約束したらしいよ」
「えーなにそれ」

そりゃそうだろう。
そんなふうにあちこちで仕事をすぐクビになるようなら学習する。
誰だって自分の身を守るために一生懸命生きてるんだ。

私はむしろ感嘆してしまう。
私など、先日仕事が早く終わって勤務時間が30分短くなったけれど、
「ごめんね、短くなっちゃって」と言われても、
「ごめんね」の意味がわからない。
30分早く帰れるならそのぶん他のことができるから嬉しい。
残業してくれと言われたなら残業分給料が増えるから嬉しい。
わからない。
権利主張がわからない。
自分の身を守って必死に生きようとしているその人を尊敬さえする。
けれど空回りしてますよ、と伝えたいと思う。
きっと彼は「そういうところはしっかり言いたいこと言う」などと言われてるんだろう。
私よりもよっぽど人間として社会に生きてるのに。

どうして私の勤務時間が30分短くなったことを詫びる人たちが、
「どうにか辞めてもらえないの?」などと話しているのだろう。


仕事しながら泣きそうだった。

どうにか泣かなかったが、帰る時にあまりにもうつむいてしまって、
さすがに「どうしたの」と言われてしまった。

誰かが叱られていると自分も叱られているような気がしてしまう。
いつか自分も同じミスをしてしまう可能性はゼロじゃないから。
きっとその人だって良かれと思って全部裏目に出ているのだ。
良かれと思ってかえって余計なことをする場面など私にはざらにある。
どうにかしたいと思ってもどうにもならないからそういう状態なのに、
それを責められたらどうやって生きたらいいのか。

そんなことを言っても伝わらないから言わないでおこうと思ったが、
心配されてしまったから言わざるを得なくなった。

「叱られてる人がいると自分もクビになるんじゃないかと思って…」
「え! そんな心配いらないよ! レベルが違うもの!」

レベルが違う、ということは、
レベルが違えど、私にも注意点が多々あるということだ。

そうやって言外に責めていることに気付かない人ばかり。
人間なんか嫌いだ。



皆が皆、無理をしすぎてるんだ。
自分の能力以上のことをしようとして、必死になってるから、
足手まといのやつがどうして自分と同じ給料なんだ、と思って非難するんだ。


皆が皆、誰かを羨んでる。
貧乏人は金持ちを羨む。
金持ちは貧乏人の自由を羨む。


世界平和など成されない。





泣いて泣いて泣いて泣き終えたら、
またヘラヘラと楽しげなことばかり書き連ねよう。

たかだか数十年。
それで終えたいじゃないか。



今読んでる本の話も書きたいところだが、そろそろ行く。



(追記)とりあえず続き↓
http://moe1000.seesaa.net/article/270347913.html

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posted by なべ at 11:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

雑記:数学友と数談義。

今日は久しぶりに数学友とデート♪
数学好きで意気投合したお友達なのだwww

彼女が”隠れ家”と呼んでいる定食屋さんでディナー。
ここの親子丼は、鳥のからあげを卵とじにしている、ちょっと変わった一品。

120509_1943~01.JPG


「ああ、あなたならきっとわかってくれるよね?」
 さっそく、パルムの曲率が想像と違っててショックだった話をする。
「うーん、なんとなくわかる…かなぁ」
 意外と反応が薄い。そうだった。彼女は数式が好きなんだ。私は図形が好きなので、そのへんは、同じ数学好きでも、萌えポイントが微妙に異なる。
「え、じゃあさ、あれあったじゃん? 『博士の愛した数式』って小説。映画にもなった」
「ああ、ありましたね。見ました」
「あれでさ、博士がお手伝いさんに、靴のサイズ訊くじゃない? それで、24センチ、って答えると、博士が『潔い数字だ』って言うの」
「ありましたね」
「私はさ、24っていうのは、優しい数字だと思うんだよ」
「うーん…24っていうと…12の2倍、としか思いつかない」
「えー。24は約数が多いんだよ。2でも3でも4でも6でも割れるんだよ? 2人でも3人でも4人でも6人でも分けられる、24個っていうのは、そういう数字なんだよ」
「あーそっかぁ。いや、あの映画がそれこそ、パルム状態でね。『博士の愛した数式』っていうくらいだから、もっと…オイラーの公式とか、フェルマーの最終定理とか、そういうのが出てくるのかと思ってたのに…出てこないから、途中でつまんなくなって」
「あーそれはあるね。でも一応、式は出てきたじゃん?」
「いやいやいや…もっと有名なのがさ、出てきてくれなきゃ。あのタイトルなら。だって、友愛数とか完全数なんて、数学じゃなくて、ただ単に、数の話じゃないですか」
「まあねえ。でもさ、あれくらいじゃないと一般受けしないんだよ」
「まあ、ですよねぇ」
「友愛数とか知ってたら、もっと数学が好きになってたかもしれないのに、って感想書いてる人が五万といるんだよ。友愛数知ってたって数学好きにはならないと思うんだが」
「ですよねぇ」


…とかいう小説書いたら読む人いますか?(笑)


まだこのあと、28についての熱い語らいがあるんだが、もうなんか力尽きたwww
28は2番目に小さい完全数だ。小説にも出てきた。しかしそれだけじゃなく、云々。

会話ばっかりだからもうちょっと整理して書き直したい…
小説書くのって手間だーーー。トークのが数段ラク。



問題:どこまでが日記でどこからが小説でしょうw

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posted by なべ at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

写真:簡単レシピの超おいしいティラミス

連休中のこととか、ていうか去年話とか、
まだ色々書くことあるのに、いつの間にか日付変わっちゃった。

やっぱりエッセイストになりたいなぁ。
書きたいこと書いて、それがお仕事なら、いっぱい書けるのに。


明日も早いんで、
簡単レシピの超おいしいティラミスの写真をアップして、寝ます。
おやすみなさい〜☆

120506_2205~01.JPG

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posted by なべ at 01:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の写真2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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