9:33 2012/05/11
朝の仕事終わり。
昼からの仕事の準備をしなければならないのだけれど、
書いて吐き出さないことにはどうにも動けそうにないので書く。
***
昨夜再放映されたNHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀」、
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0507/index.html藤藪庸一さんの回について宣伝したら、
お二人からコメントをもらった。
お一人は本放送を見て、やるせなかった、ということだった。
やるせない、の理由は、短いコメントからは読み取りきれない。
機会があったら訊いてみたいと思う。
番組は、藤藪さんが社会復帰を願って共同生活をしている何人かの中から、
一人が急に出て行ってしまって行方がわからない、という展開だったから、
救おうとしても救いきれないことにやるせなさを感じたのか、
それとも逆だろうか。
もうお一人、憧れの方から思いがけずコメントをいただいた。
それも、番組を見て「かなり凹んだ」、というコメントだった。
視聴後のブログ記事へのリンクをいただいた。
http://blog.goo.ne.jp/t-unasaka/e/3be4175d53f8b5fcd7edda88c44fdf68>この牧師さんは私の一歳上らしいが、人を救うという自分の生き方に何ら疑いを持たず、自信たっぷりに生きている。
…ああ。
きっと私も、牧師さんと”同じ側”だと思われてるのだろうと思うと、それこそ凹んだ。
この方は私にとっては文学青年で(こういうとき年齢は関係ない)、
彼から紡ぎ出される言葉は私の語彙群と重ならない部分が多く、
もうなんだか畏れ多くて、コメントなどいただいた日には浮かれてしまって、
それこそ私のつたない作品にお褒めの言葉をいただいたのは一生の宝もので、
でもきっと、この牧師さんがこういうふうに見えたということは、
私のことも、浮かれて自信たっぷりであっけらかんと生きてると思われてるんだろうと思うと、
どうにも、それこそやるせない。
きっとだから相手は、私に会う気になどならないと思ってらっしゃるのかもしれない。
いつかお会いしたいです、関東にいらっしゃるときはご連絡くださいね、などと、
♪だの☆だのを撒き散らしてキャーキャー書いたりするから、仕方ないのだろうけれど。
憧れの人に、ぐじゃぐじゃの自分なんか見せたくないじゃないか。
***
藤藪さんの写真を公式サイトで見たときに、ちょっと違和感があった。
番組を見て、一瞬は、気のせいだったと思おうとしたけれど、
やっぱり気のせいではない、と思った。
藤藪さんの目には、光がない。
彼が牧師を志した頃の写真が、番組内で一瞬だけ映った。
それはそれは未来の希望を信じてやまない笑顔だった。
もし彼が今もそんな表情をしていたなら、
人を救うことに生きがいを持って自信たっぷりな(いけすかない)人、と思っただろう。
花屋が一番、花を捨てる。
花が好きだというだけで花屋になれば、毎日泣かずにはいられまい。
医者が一番、人の逝くのを見る。
医療の限界を肌身で感じる日々だろう。
13年間で500人以上を社会復帰に導いた、というのは、
少なからず社会復帰に導けなかった人たちとも関わってきた、ということだろう。
半数か。同数か。それとも倍以上か。
それを13年も続けてきた、というのが、すさまじいと思う。
本当にまったくの想像だけれども、
そもそも、藤藪さんの目に光がない、というのが、私の印象でしかないけれども、
たぶんこの人は、何か大きく喪失している。
牧師になったあとで。
目の奥に、その空虚が映ってる。
番組は、「訪ね人」の広告だと思った。
撮影を開始したときには、こんな展開になるとは予想していなかったとは思うが、
あるいは長年の経験からその可能性も感じていたのかもしれない。
俺はここで待ってる。
そのメッセージだと、私には思えた。
けれどそれは、たぶん、とても悲しいメッセージだ。
きっと、届かない。
それすらわかったうえで、0.0001%の可能性でもいいから、
彼は賭けたのではないだろうか。
そんな気がした。
***
私にも、毎日毎日死にたかった時期がある、
などという話は不毛だから嫌なんだ。
だから別のことでも書こうか。
あの頃、唯一最愛だった人が、もし死にたいと思うのなら、
そうして自死を選ぶのなら、
私は黙って見送るしかないと思っていた。
あなたがそれを望むのなら。
私はそれを受け入れるしかない。
あなたがこの世を去ったら、身を切られるほどつらい、
私もまた生きていられないほどつらい、
何も望まない、私のそばにいてくれることさえ望まない、
ただあなたが生きてこの世に在り続けて、
笑顔でいてくれたならそれだけでいい、
そのために私の何を犠牲にしてもかまわない、
そう思うほど大切に想う相手でありながらも、
あなたの決断なら、私はそれを受け入れる。
そう、思っていた。
…こういうのを妄信と言うのだ。
私は二度と誰のことも信じはしない。
自分がどうしても嫌なことであれば相手が誰であれ口を閉ざしはしない。
死にたい人間というのは、
何を言われようが、何をされようが、死にたいのだ。
私はあの頃、死にたかった。
だから、この世で最も大切な、守るべき唯一の人が死んで、
この世に未練がなくなることを思っていた。
後を追って三途の川の手前で愛を告白することだけを思っていた。
実際、私たちは誰もがあの頃、本当に息苦しかった。
あなたが死にきれないのなら私が息の根を止める。
そう思ってさえいた。
死にたい人間というのは、とにかく死にたいのだ。
助けると言い寄ってくる人間がいれば、
ちょっと離れた隙に死のうとするし、
離れまいとしても、お前なんぞに救えるものか、と死のうとするし、
じゃあ勝手にしろと言われれば死のうとする。
とにかく死にたいのだから、結論は他にない。
…よくわかる。
覚えてる。
…よくわかる、と言ったところで何にもならないから、
私はへらへらとして、自信たっぷりなような顔をして、
こんな話は全部封じてしまいたいんだ。
死にたい人間に「私だって死にたかった」と言ったって、
「お前の死にたいと自分の死にたいは関係ない」と言うだけだから。
死にたい人間はとにかく独りになって自分だけの死の中に閉ざされたいのだ。
…ああ、そうだ。
死にたい人間はとにかく独りになって自分だけの死の中に閉ざされたいのだ。
…もしかしたら年間3万人もが自殺するのは、このあたりが理由なのかもしれない。
自分の心の平穏を持っていないんじゃないだろうか。
外界の何もかもが自分を乱すとしたら、生きづらくても当然だ。
というか、日本人は死にたがりの民族なんじゃないかと最近思う。
戦国時代は兵士の数が多いほうが勝ったというじゃないか。
死にに行く戦い方しか知らないから生きて勝てないんじゃないだろうか。
キリスト教は自殺は禁じているし、
1匹のヒツジが逃げたら99匹を置いてでも助けに行けと言うし、
そういう発想は本当に日本人と相容れないと思う。
芥川も太宰も嫌いではないけれど。
でもなんだか、散る美学というのも、そろそろ卒業できないもんだろうか。
死んだってかまわないさ。
でも、どうせそのうち死んじまうんだから、もうちょっと遊ぼうじゃないか。
ただそれだけの戯言。
…そうやって嘯き続けて、ここまで生きて。
私はようやく、今、本当に嬉しい。
唯一最愛だった人に、
今ならあなたが死にたいと言っても引き止める、と告げた。
あの頃は見送るしかないと思っていた、というのも。
あの人は言った。
あの頃の想いにも、今の想いにも、ありがとう、と。
私は幸せだ。
今本当に幸せだ。
ここまでの幸せを知らないまま、死ぬ手はない。
…ここまで越えるまでが、更に地獄だったのも、もう遠い記憶だ。
…うん。
ここまでの幸せを知らないまま、死ぬ手はないよ。
***
朝の仕事に行ったら、
新しく入った人が余計なことばかりして困る、という話で持ちきりだった。
こんな困ったことをした、あんなどうしょもないことをした、
と憤って話しているその人の苦労はもちろんわかるが、
私はもう身の縮む思いで仕事の効率も落ちるほどだった。
「なんであんなことをするんだろう」と言う割には、
その「なんで」を本人に訊くことなどしない。
「なんでだろうね」「まったくわからないね」と同調する人間にだけ愚痴をこぼす。
私はその人と話がしてみたいと思う。
その人の心象風景はどんなだろうと思う。
きっとあらゆる人が物が空気さえもが自分を責めてるように感じているのではないだろうか。
誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。
どんなに「迷惑かけたってかまわないと思ってる人間もいる」と言われようとも、
私は繰り返す。
誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。
誰だって誰かの迷惑になりたいと思って生きてなどいない。
「よりによって11月まで契約を切らないって約束したらしいよ」
「えーなにそれ」
そりゃそうだろう。
そんなふうにあちこちで仕事をすぐクビになるようなら学習する。
誰だって自分の身を守るために一生懸命生きてるんだ。
私はむしろ感嘆してしまう。
私など、先日仕事が早く終わって勤務時間が30分短くなったけれど、
「ごめんね、短くなっちゃって」と言われても、
「ごめんね」の意味がわからない。
30分早く帰れるならそのぶん他のことができるから嬉しい。
残業してくれと言われたなら残業分給料が増えるから嬉しい。
わからない。
権利主張がわからない。
自分の身を守って必死に生きようとしているその人を尊敬さえする。
けれど空回りしてますよ、と伝えたいと思う。
きっと彼は「そういうところはしっかり言いたいこと言う」などと言われてるんだろう。
私よりもよっぽど人間として社会に生きてるのに。
どうして私の勤務時間が30分短くなったことを詫びる人たちが、
「どうにか辞めてもらえないの?」などと話しているのだろう。
仕事しながら泣きそうだった。
どうにか泣かなかったが、帰る時にあまりにもうつむいてしまって、
さすがに「どうしたの」と言われてしまった。
誰かが叱られていると自分も叱られているような気がしてしまう。
いつか自分も同じミスをしてしまう可能性はゼロじゃないから。
きっとその人だって良かれと思って全部裏目に出ているのだ。
良かれと思ってかえって余計なことをする場面など私にはざらにある。
どうにかしたいと思ってもどうにもならないからそういう状態なのに、
それを責められたらどうやって生きたらいいのか。
そんなことを言っても伝わらないから言わないでおこうと思ったが、
心配されてしまったから言わざるを得なくなった。
「叱られてる人がいると自分もクビになるんじゃないかと思って…」
「え! そんな心配いらないよ! レベルが違うもの!」
レベルが違う、ということは、
レベルが違えど、私にも注意点が多々あるということだ。
そうやって言外に責めていることに気付かない人ばかり。
人間なんか嫌いだ。
皆が皆、無理をしすぎてるんだ。
自分の能力以上のことをしようとして、必死になってるから、
足手まといのやつがどうして自分と同じ給料なんだ、と思って非難するんだ。
皆が皆、誰かを羨んでる。
貧乏人は金持ちを羨む。
金持ちは貧乏人の自由を羨む。
世界平和など成されない。
泣いて泣いて泣いて泣き終えたら、
またヘラヘラと楽しげなことばかり書き連ねよう。
たかだか数十年。
それで終えたいじゃないか。
今読んでる本の話も書きたいところだが、そろそろ行く。
(追記)とりあえず続き↓
http://moe1000.seesaa.net/article/270347913.html